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明治15年(1882)8月 |
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高木兼寛の主唱により救療のための病院として賛同者の協力により
有志共立東京病院開院 |
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明治17年(1884)10月 |
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米人ミス・リードを招へいし看護婦の教育にあたらせる |
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明治18年(1885)4月 |
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有志共立東京病院に看護婦教育所を付設 |
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明治20年(1887)4月 |
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皇后陛下を総裁に迎え「慈恵」の名を賜り有志共立東京病院を東京慈恵医院に改称
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明治24年(1891)2月 |
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高木兼寛 個人経営の東京病院開設
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明治37年(1904)7月 |
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東京慈恵医院において産婆の養成を開始 |
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明治40年(1907)7月 |
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社団法人東京慈恵会設立、東京慈恵医院を東京慈恵会医院と改称
同医院に附属医学専門学校及び附属看護婦教育所を置く |
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大正9年(1920)4月 |
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高木兼寛逝去(16日葬儀) |
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大正11年(1922)2月 |
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高木喜寛、東京病院を本学に提供、本学附属病院となる。院長 高木喜寛 |
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大正12年(1923)9月 |
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関東大震災、大学校舎、附属東京病院、東京慈恵会医院等焼失 |
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昭和5年(1930)12月 |
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東京慈恵会医院の診療行為一切が東京慈恵会医科大学に委託される |
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昭和18年(1943) |
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東京慈恵会医科大学附属中川堤療養所開設。所長 林
直敬 |
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昭和20年(1945)5月 |
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東京空襲により大学及び附属病院災禍をうける |
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昭和21年(1946)7月 |
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中川堤療養所を総合病院として東京慈恵会医科大学附属東京病院分院青砥病院と改称
院長 古閑義之 |
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昭和22年(1947)4月 |
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東京慈恵会医院の経営、管理の一切を大学が担当することになり、東京慈恵会医科大学附属東京病院南病棟(従来の東京病院は北病棟)と改称 |
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昭和25年(1950)11月 |
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第三病院開院。院長 加藤義夫 |
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昭和27年(1952)1月 |
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第三病院を東京慈恵会医科大学附属東京病院分院第三病院と改称 |
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昭和37年(1962)10月 |
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附属病院本館A棟竣工附属病院の名称を東京慈恵会医科大学附属病院、
通称慈恵大学病院と改称。
これに併せ第三病院の名称も東京慈恵会医科大学附属病院第三分院に改める。
東京慈恵会医科大学の歴史の上で忘れることの出来ない東京病院の名称がなくなるため、その由緒を刻んだ「東京病院発祥の地」の碑を附属病院玄関脇に建立した。 |
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昭和38年(1963)8月 |
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附属病院本館B棟竣工 |
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昭和38年(1963)12月 |
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青砥病院は鉄筋4階建の新病棟完成を機会に東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院と改称 |
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昭和42年(1967)11月 |
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附属病院本館C棟竣工 |
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昭和49年(1974)11月 |
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青戸病院別館竣工 |
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昭和56年(1981)9月 |
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第三病院中央棟竣工 |
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昭和57年(1982)2月 |
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第三病院附属B棟(法医棟)竣工 |
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昭和59年(1984)11月 |
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第三病院附属C棟(森田療法棟)竣工 |
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昭和60年(1985)7月 |
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附属病院本館E棟竣工 |
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昭和60年(1985)7月 |
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青戸病院第2別館竣工 |
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昭和60年(1985)8月 |
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附属病院健康医学センター(相談部・スポーツ外来部)開設 |
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昭和61年(1986)4月 |
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青戸分院、第三分院の名称を青戸病院、第三病院に変更 |
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昭和61年(1986)4月 |
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第三病院附属D棟(中材棟)竣工 |
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昭和62年(1987)4月 |
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柏病院開設 |
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平成2年(1990)5月 |
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柏病院C棟竣工 |
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平成5年(1993)3月 |
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柏病院医学研究棟竣工 |
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平成6年(1994)2月 |
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附属病院が特定機能病院として承認 |
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平成12年(2000)5月 |
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附属病院中央棟竣工 |
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平成13年(2001)10月 |
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附属病院E棟リニューアル工事竣工 |
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平成14年(2002)4月 |
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晴海トリトンクリニック開設 |
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平成16年(2004)3月 |
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第三病院附属E棟(手術棟)竣工 |
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平成19年(2007)5月 |
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第三病院森田療法センター開設 |
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平成24年(2012)1月 |
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葛飾医療センター(旧 青戸病院)開設
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